千葉すずの現在!放送禁止発言を含め時代に翻弄されたスイマー
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10月8日放送のTBS系で
「伝説の引退スペシャル」という番組ありました。
ナビゲーターは小栗旬で
封印された過去
なぜ辞めたのか
涙と後悔
の副題のもと
江川卓さん
千葉すず
千代の富士
というスポーツ史に残るレジェンドに
様々な角度からその時代の封印をとく
ドキュメンタリーでした。
その中でも
私が一番印象に残ったのは
千葉すずさんの引退劇でしたね。
この番組をみて、
当時の大騒動を思い出しました。
千葉すずさんをあまり知らないという方もいる
と思うので簡単に振り返ってみます。
千葉すずさんは
神奈川県横浜市保土ケ谷区出身で、
実家は仙台にあるそうです。
水泳を始めたのは5歳の時で、
小学校5年生の時には400m自由形で
日本学童新記録を樹立。
その後、
近畿大学附属中学校入学以降には、
すでに国内無敵という最強スイマーでした。
そんな、千葉すずさんは
もちろん、オリンピックでもメダルを期待されましたが、
1992年のバルセロナオリンピックでは
200m自由形6位。
1996年のアトランタオリンピックでは
個人決勝種目で決勝レースまで進むことなく敗北。。
この結果は、日本国民の多くが落胆したワケですが、
間違いなく、本人が一番苦しんだことでしょう。
で、ここから、千葉すずさんは人生を大きく狂わします。
アトランタオリンピック後の
テレビ朝日『ニュースステーション』で
とんでもない発言をしてしまうのです。
「オリンピックは楽しむつもりで出た。
そんなにメダルというなら自分でやればいいじゃないか。
日本の人はメダルキ○ガイいだ」と・・・。
そして、これが日本中で、大きな議論になりました。
その後、一時期競技を離れた後に1999年に復帰し
日本選手権では100m・200m自由形でそれぞれ当時の
日本新記録を達成します。。
さらに2000年の日本選手権では日本水連が
シドニーオリンピック代表選考の条件としていた
五輪A標準記録2分0秒54を突破して200m自由形で優勝します。
言わば、国内最強に返り咲いたワケですね。
しかし、千葉すずさんはオリンピック代表に選ばれませんでした。
この事が不服だった千葉すずさんは
「スポーツ仲裁裁判所」へ訴えました。
裁判では一応、勝った形にはなりましたが、
いずれにせよ、シドニー五輪には出場にはできず、
そのまま現役引退という形になったワケです。
千葉すずさんに対しては、
TVでの放送禁止発言や裁判沙汰を起こしているため
未だに、千葉すずさんの事をよく思っていない人達も多くいます。
ただ、オリンピックで結果を残せなかった事。
また、再度のオリンピックで結果を残しつつも選ばれなかった事。
千葉すずさん本人が一番悔しい思いをしていると思います。
まさに、時代に翻弄されてしまった一人ですが、
これからは、幸せな生活を送って欲しいと心からそう願います。^^
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